不適切な話

 クドカンのドラマが好きです。池袋ウエストパークゲイトから始まり、タイガー&ドラゴン、木更津キャッツアイと昔から好きです。もちろん、直近では不適切にもほどがあるを見ております。昭和の人間としてはたまらないテーマですね。平成、令和と3世代を生きている身としては、最近の息苦しいコンプライアンスも身をもって実感しており、比較ができる身です。令和も6年です。つい最近まで、平成産まれの新入社員が出始めたなって思ってたら、もう当たりまえになっております。平成を扱った「ゆとりですが何か」ってドラマもありましたが、今作では平成スルーが、話題になりました。思えば入社したのが平成10年ですから、どちらかというと平成の環境で仕事をしてきたので、どちらかというと昭和の人間っていうより、平成の人間なんですが、まー、生まれは昭和ですので、昭和の人って扱いでしょうね。昭和の小学校生活をしてれば、3つ子の魂100までというか、昭和で育った子供たちなわけです。今に思えば、昭和の小学校生活は規制が厳しくなくて楽しかったのかもしれませんね。まー、ファミコンばっかりやってたゲーム少年ですので、今も昔も変わらないかもしれませんが。LGBTQなんてものはなく、外国人も少なかったので、英語アレルギーが生まれるのもしかたないなんて思ってしまいます。思えば女っぽい男子もいましたが、偏見で見ていたのは否めないでしょう。片目の猿の話を以前も書いた記憶がありますが、朱に交われば赤くなるじゃないですけど、赤くならない人を偏見で見てしまう、そんな時代だったのかもしれません。マイノリティが許されず、多数決では多数派が常に正しいと言われて育ち、洗脳されてた感じもします。しかしながら、そんな中でもガリレオの話を耳することで、常に多数決派が正しいわけでもないことを子供心に刻まれていた気もします。インターネットがなくてもテレビドラマやアニメからいろいろなことを学べる時代だったかもしれません。その情報が正しいかどうかは、家族や友達とのコミュニケーションで自然と見極める能力がついていったのかもしれないです。平成は平和な時代でしたが、海外では911の人災があり、国内では311の天災が起きてと思えば、平和なだけではなかったと思います。令和は既にコロナという天災なのか人災なのかよく分からないけど、歴史に残る一大事が起きました。ちょっと不適切な話を言いますが、コロナでIT環境は大きく変わったと言えるとは思います。リモートでのテレビ会議をあたりまえにした、コロナの功績ってことも言えると思います。なんてことを言うとコロナえ亡くなったかたの親族に叩かれると思いますが、実際、コロナじゃなかったらリモートワークなんて進んでなかったことでしょう。そして、今、そのリモートワークを否定する時代が始まりつつあります。アフターコロナです。不適切な話をしますが、リモートワークのままでよくね。うちの会社も出社率を上がろってことで、週2回、出社することとなりました。出社することが目的になってしまって、グループ会議のために出社して、終わったらさっさと帰る。意味あるのかな。会社の方がネットワーク環境悪くて、WIFIがブチブチ切れてますから、そりゃー、帰るわなって感じです。コロナ禍のリモート環境になって、遠くに引っ越した人もいますが、今さら出社って言われてもって感じでしょうね。出社が目的じゃなくてコミュニケーションを取って、効率よく仕事をして、成果を出しましょうってことだと思うのですが、そんなにコミュニケーションせずに帰るって人が多くて意味ないですね。まー、私もその一人です。そもそもフリーアドレスの職場に来たって、結局、席でリモート会議して、コミュニケーションなんてとれるか...。まー、違う部署の人で昔一緒に働いていた人たちとは、たまたま隣に座ったらコミュニケーション取れるようになりましたね。もう少し、出社するメリットを作らないと、通勤時間のむだというか、交通機関を設けさせるために出社してるだけになってしまいます。まー、それで経済が回るようになるってのなら、Zoom社やMS社の外資が儲かるモートワークの経済より、よいのかもしれませんが。経済が回ると言えば飲み会ですね。アフターコロナで恐れていたことが飲み会です。今年度に入って、既に何万円も使ってます。変に役職ついていると飲み会の代金も高いし、新入社員に奢らなきゃってえーかっこしーになりがちです。昔、ここのエッセイでも書いたと思いますが、新入社員の時の主任に夕飯おごっていただきまくってたので、恩返しの意味で新入社員に奢りたくなってしまいます。新年会、忘年会と復活してきておりますので、また飲み会で散財する日々が復活してしまったのです。たしして飲めないし、そんなにお酒が美味しいとも感じないのですが、飲み会の雰囲気が好きなだけの私としては、やっぱり参加してしまいます。コロナ禍では飲み会代が浮いて、懐が豊だったように思います。コロナ禍でマスク代とか出費はありますが、飲み会代に比べたら大した費用じゃないですよね。昔、大阪で毎日飲んでた時の飲み代を考えると、ついつい高い買い物でも、飲み会1、2回行かなければ買えるなってんって計算になって、散財してしまう体になってしまいましたが、コロナ禍では飲み会が無いので、その分、他のことに使えていたって感じだと思います。まー、散財は変わらないのでお金は貯まりませんが。そんなこんなで、犬の散歩がかかせない身としては、定時の出社反対です(笑)。そんな愛犬のお陰様で、ゴールデンウィークも家族でお泊りができないのですが、4月は息子と娘と3人でむりくり、宿泊してきました。たいして不適切な話でもないし、ドラマのふてほどもほとんど語ってない相変わらずの薄いエッセイでしたが、今回もお泊り日記で終わります。

 2024年4月28日(日)飯能 1日目
 埼玉で山温です。GW真っただ中ですが、2月のスーさん企画です。2月の雨に悩まされ、4月に延期となりましたが、中川さんから月曜日が休みなら参加できるってことでしたので、帰ってきた山温に、あの中川家に初参加いただきました。上原山岳会時代からの初期メンバーです。ゆゆちゃんもすっかり大人になっておりました。そして、本日も安定の修さんとサングさんの遅刻から始まり、武蔵横手駅の滞在時間が鳴海さんの山頂滞在時間より長いのでした。山岳会の最年少記録保持者だったゆゆちゃんですが、JK3年生になったそうです。最後に会ったのが、5年前の上高地ですから、そりゃ大きくもなりますね。笑顔がすっころだっすの頃の面影あります。さて、本日のメンバーですが、美空ちゃんは欠席で、久々のみく&ゆゆは見ることできずで咲空ちゃんも部活で欠席となり、プロデューサーは一人参加でした。関根家もお父さんの橋の架け替え工事で欠席です。小6女子改めて中坊女子チームも宮内弟家の里沙ちゃんだけとなってしまいました。その他メンバーは、前日まで大阪にいた修さんとGWも独身の杜さん、サング家送迎参加の鳴海さんです。家族参加は宮内家、宮内弟家、サング家ですが、サングさん家と鳴海さんは駅で合流できずに逆コースから登って合流するミッションとなりました。本日はスーさんプロデュースってことで埼玉です。とっても暑い1日でしたが、真夏とは違って新緑と空気が気持ちよいので、それほど苦ではありません。北向地蔵で一休みして、サングさんに電話するも、ソフトバンクほとんど電波なくて合流できるか心配。無事に物見山の山頂に着きました。調理場も確保できて、本日の山ごはんタイムです。大人一人100円のリーズナブルなお食事は米国のソウルフード「ベイクドチーズサンドイッチ」です。宮内の伝達不足でおにぎり等持参を一部メンバーに伝えられておらず、宮内家も武蔵横手の売店で買えばよいかって思っていたら、駅周辺にお店が全くなくて、空腹です。空腹の調味料も加わり、とっても美味しい山ごはんでした。マイフライパン持参の岳も絶賛して2個いただきました。山頂でなんとか電話がつながったのですが、「サングさん家は無理。ギブアップ。俺の健脚ならなんとか合流できる、俺だけ行く。」ってことで、サング家は持参したご飯を食べて、登山口に戻ったそうです。そして、鳴海さんが到着してすぐに集合写真を撮り直して、お取り置きしてたサンドイッチを渡して下山です。途中に売店あって、みんなアイスを買ってチューチュー吸っておりました。夏ですねー。下山の途中でキツツキが巣をつくってるところを見ることができたのでタイトル写真にしました。下山といいつつ登山が続き、日和田山の山頂で集合写真を取るのです。こっちの方が物が見えます。景色が良いって意味ね。スタンプも置いてあって、こっちがメインの山じゃないかと思いつつ下山です。途中、コースが男坂と女坂に分かれますが、宮内弟と健一、岳は男坂を選んだつもりが男岩に行き、きつい遠回りだったそうです。女坂の瑞穂さんにネタ作りしていただきました。すっころんだっす。ゆゆちゃんではなく、お母さんでしたが、無事にすっころんでいただいたところで、サング家と合流です。登山口ですが、全員集合ってことで集合写真を撮ります。ミッションはインポシブルでしたが、鳴海さんとは山頂で合流できて、サング家とも合流できたのでミッションクリアってことにしましょう。登山口でサング家と合流できましたので、山頂じゃないですが、記念に集合写真です。中川さんに「初めまして」って挨拶しているサングさんでしたが、何度も会ってますよ。13年前の同じ山で会っており、しかも、日和田山-物見山の縦走コースをプロデュースしたの サングさんですから!残念!高麗駅で電車がかなり遅れましたが、本日の温泉は二駅離れた飯能駅にあるいつもの奥むさし旅館です。せっかくのGWですので宮内家はここにお泊りします。美幸は里沙ちゃんにお風呂いれていただきました。お風呂から上がったら、夕飯を兼ねて東飯能駅まで宮内弟を見送りました。旅館の隣にあるお店のカレーがよいってことで、旅館に戻ります。途中お腹ピーピーになって、駅のトイレに寄りました。お店は夜は居酒屋でしたが、交渉でカレーとハンバーグを作ってくれました。旅館に戻って、お菓子パーティーして消灯です。

 2024年4月29日(月)飯能 2日目
 奥むさし旅館の朝食を食べてから、川遊びへ行きます。朝食は和食で切り干し大根、ポテトサラダ、玉子焼きなどなど、魚の煮つけの変わりに子供たちはウィンナーで、その他はみんな一緒です。ドーミーインのバイキングに慣れている子供たちは不満たらたらです。9時半にチェックアウトして、川遊びに向かいます。近場の川でもよかったのですが、せっかくなので、昨年の山温で渡れなかった吾妻峡のドレミファ橋のリベンジしてきました。駅からちょっと離れており、今日も暑いのでバテます。前にも行った薬局が10時前からオープンしており、買い出しします。ドレミファ橋の周りは人が少なく、新緑を楽しめました。小石を投げたり、魚を見つけたりして遊びました。水は冷たくて気持ちよかったです。お昼過ぎに解散して、飯能駅に戻ります。ランチは昨日、山温メンバーと話してた、ぎょうざの満州でダブル餃子セットをいただきました。家に帰ってベランダでプールに入ろうって言ってましたが、寒くなったのでプールはおあずけとなりました。子供たちは明日から平日です。私は10連休の前半終了です。

以上('24/5/1)。


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