従兄弟と高山の話

 10月の3連休のできことです。山温でもお馴染みの私の従兄弟が結婚することになり、藤沢のセント・ラファエロ大聖堂で親族だけで式を挙げました。家族の話は何度かこのエッセイでもしてますが、従兄弟の話はあまりしてないかと思います。うちの父は4人兄弟の長男です。弟が2人、妹が1人います。1番目の弟は一緒に住んでおり、独身のままこの世を去ってしまいました。叔父さんの話でお伝えした家族です。二番目の弟もこの世を去ってしまいましたが、一人娘がおります。フラメンコがプロ並みの従姉妹です。二番目の叔父さんは中野に住んでいたので、中野の叔父さんとして親しんでおりました。エッセイには書いておりませんが、2008年1月31日の出来事でした。大阪出張の日だったのですが、日帰りで戻り、立川の遺体安置所へ行きます。その日は父の妹の家で、妹の旦那さんと鍋を食べました。2月5日に落合斎場で御通夜。2月6日に落合斎場で告別式をして、叔父、つまり中野の叔父さんの兄の眠る伊勢原の墓地に一緒に眠ることになりました。告別式の従姉妹の「お父さん」と何度も呼びかける声と涙が忘れられません。その声に僕も涙が頬を伝わるのを感じました。従姉妹は3月にはフラメンコの舞台に立ち、中野の叔父さんの席も用意されており、写真が飾ってあったのが、思い出深いです。従姉妹とは小さい頃はよく遊んだのですが、年頃になってからはあまり遊ばなくなっており、法事で合うくらいでしたが、フラメンコを始めてからは、よくフラメンコ会場で会うようになりました。それから、私の父の妹の息子が二人います。父の妹の旦那さんは一人っ子だったので、そちらの従兄弟はいません。今回の結婚式も親族とのことですが、従兄弟関係が6人も来てしまいました。兄と兄の息子、私と私の嫁、弟と弟の嫁です。そんなわけで、小さい頃から従兄弟6人は仲良く遊んでおりました。父の妹の息子二人は苗字も違うわけですが、男兄弟ってことで、よく遊びました。弟の方とは大人になっても、一緒に海外旅行へ行ったり、山温で山へ行ったりと何かと合うことが多くなりました。スペイン北京へ一緒に行っております。そんな従兄弟が家を立て、結婚をしました。従兄弟では最初の結婚式となります。美しい教会での親族だけの結婚式。とてもよい時間を過ごせました。お嫁さんのお父さんは病気で式には出席できませんでした。誰よりもこの日を望んでいたお父さんが出席できなかったというのは非常に残念なことでしたが、お嫁さんがお父さんへの手紙を読み、新しいお父さんも涙して語り、とても素晴らしい親族の繋がりを感じる結婚式でした。私の奥さんも出合った時から両親を亡くしており、両親のいない披露宴をしても意味がないということで、ハワイでの少人数での結婚式となったのだが、今思えば、奥さんに天国の両親へ手紙を読む時間を与えて、天国の両親に娘さんを幸せにすることを誓う時間を持つべきだったのかもしれません。兄弟三人、大々的な披露宴をすることはなかったですが、私が挙げるべきだったのかと、ちょっと思うこともあります。ハワイの挙式はそれはそれで、非常に素晴らしいものでした。父と弟をよんで、4人だけのハワイ挙式。誰に遠慮するでもなく、二人の時間を過ごすことができました。奥さんの親戚はいなかったので、奥さんにとってはちょっと寂しかったかもしれませんが、その寂しさを取り除ける夫になりたいと日々思うのです。と、従兄弟の話から反れてますので、戻します。小学生の頃は従兄弟の親が所有していた茨城の別荘で夏休みを過ごしました。なんとも長い名前の駅の近くにある別荘でした。そこの海の離岸流に飲み込まれそうになったのも、今では良い思い出です。従兄弟が住んでいた三鷹にも良く行きました。従兄弟もよく家に来て、ファミコンやってました。正月には従兄弟が勢ぞろいして集合写真を撮ったものです。そして、大人になり、従兄弟の実家も引越し、何かを会うことも少なくなり、同じく法事でしか中々、会わなくなりましたが、従姉妹のフラメンコ会場で会うようになりました。2006年3月5日(日)に従姉妹のフラメンコショーがあったのですが、久しぶりに会った従兄弟は会社を辞めて晴れてニートになったとのこと。毎回、海外旅行へ行っている僕と一緒に海外へ行きたいという話があがって、「あーいーよ」という軽い返事をしました。行くなら3月の連休のある週がいいという話をして、あれよあれよと行く方向になりました。そして、翌週の3月11日に従兄弟とHISに飛び込んで、「行けるとこない?」とう無茶苦茶な要求をしてみました。先ずはどこへ行きたいか言わなければ、彼らも困りますね。で、一番最初に上がったのがフラメンコショーに出演した従姉妹が行ったと言っていた「スペイン」。それを店員に尋ねると「ある」とのことで、5泊8日という長旅に従兄弟と行くことになったのです。その2ヶ月後には、山岳会に参加し、ほぼ毎月会うようになったのでした。そして、独身最後の海外旅行の北京。従兄弟と2人で行く海外旅行もこれで最後となることでしょう。従兄弟もこれが独身最後の海外旅行となったようです。ちょっとした事件もありましたが、楽しい旅行でした。そんなわけで、今回も強引に従兄弟の話から旅行の話に移ります。10月に行った日本の世界遺産です。嫁の勤める病院で、末期癌を宣告された老夫婦も、最後の思い出に飛騨高山へ行ったそうです。そんな素敵な街である飛騨高山と世界遺産の白川郷と五箇山へ行ってまいりました。

2010年10月11日(月) 飛騨高山 1日目
 嫁さんと飛騨高山へ行くことになりました。折角なので世界遺産の白川郷と五箇山も行きたいなーと思っていたら近畿日本ツーリストのツアーを発見!Yahoo!の国内ツアーで検索したところ京王観光で同じツアーを発見。こちらの方が若干安く思えたので申し込みました。実際は同じ値段だったのでした。夜遅くの限定新幹線で帰るツアーです。1日目は久しぶりの新幹線と特急ひだ号で飛騨高山へ。朝はたっぷり寝て、新横浜でお茶とお菓子を買って、新幹線に乗車。天気が良くて富士山が綺麗に見えます。雪がなくて、ちょっと雲がかかっているのが残念でした。持ってきた散歩の達人という雑誌を読んでるうちに名古屋駅に到着。昼食は名古屋の駅弁です。味噌カツとエビフライの弁当を購入。嫁さんは天むすです。名古屋は美味しいものがいっぱいありますね。というか、観光地が少なく、食い倒れる場所って感じですね。そして、再び2時間の飛騨号です。岐阜駅で山の上の岐阜城を車窓から見て、下呂駅までの綺麗な飛騨川を見て、上呂って駅があることを始めて知って、長い乗車の末、高山駅へ到着。外国人がいっぱいです。先ずはバスセンターで引き換え券を乗車券に変えます。「明日。来てください」とのことで出直し。ファミリーマートによってから、本日のお宿となるベストウエスタンホテル高山へ到着。少し休んでから、飛騨高山観光へ。最初は飛騨国分寺を観光。三重の塔が綺麗です。その後、メイン観光地のさんまちへ。近畿日本ツーリストでベストウエスタンホテルに泊まると飛騨高山食べ歩きクーポンが付いております。飛騨牛握り、飛騨牛串焼き、飛騨牛コロッケを食べて牛づくし。更にクーポンは使えないけど牛マンも食べます。一度ホテルに戻ってから、夕飯は味蔵天国というJAのお店で、飛騨牛の焼肉三昧です。飛騨牛カルビ、飛騨牛ロース、飛騨牛ハラミとライス大と野菜盛りを食べました。お腹いっぱいになったところで、駅の裏側にあるグリーンホテル高山まで行って、日帰り温泉に浸かります。気持ちの良い広い温泉でした。ホテル内にある物産館にはさるぼぼ神社があり、参拝します。そんなわけでホテルに戻って本日終了。

2010年10月12日(火) 飛騨高山 2日目
 8:30から近畿日本ツーリストのバスツアーです。ホテルの朝食バイキング会場には外国人だらけです。なんでこんなに欧米人がいっぱいいるのか不思議。ファミリーマートでお菓子を買って、早速バスツアー開始です。バスガイドが説明します。今日の占いで仕事でイライラすると言われておりましたが、今日は有休休暇を取っているのです。バスに乗って携帯で会社メールをチェックしたところ問題発生で、イライラ。占いあたりです。長いトンネルを抜けて富山県に入ります。仕事で電話しないといけないので、イライラ。さすがに観光バスで電話はできません。バスガイドが説明してますので。お客さんは僕らを含めて7名しかいないのですが、さすがにバスで電話はできません。最初の観光地は五箇山の相倉集落に到着。携帯で電話をして、なんとか問題解決。相倉集落で展望台から景色を眺めて、二箇所の民族館に入ります。300円也。最後に牛乳が美味しいと評判のお店でコーヒー牛乳を飲みます。見学時間の50分はあっという間に終了。バスは白川郷に戻ります。菅沼集落を車窓から見て、何これ珍百景でも紹介されたカーナビが忙しい道を通ります。富山から岐阜、岐阜から富山へと何回も繰り返し入県する道なのです。白川郷の展望台にある天守閣というお店で、味噌メインの精進料理のような質素なお昼ご飯です。食事を終えて、白川郷の展望でプロカメラマンに写真を撮ってもらい、1000円で購入です。高!バスに戻って自由行動スタート。最初は民族園です。合掌村を見学して、どぶろくアイスを100円で、いただき、であい橋を渡って世界遺産ゾーンへ。明善寺でお賽銭を入れて、長瀬家、神田家、和田家を各300円で見学。高いなー。白川八幡宮を見学して、五平餅を食べて、白川郷の自由行動時間2時間が終了。高山に戻って、高山陣屋を見学。広いところです。再びさんまちへ行って、余った食べ歩きクーポンで牛串焼き2本を購入。茶店で抹茶あまがさねを食べて、桜山八幡宮を見学して、観光終了です。夕飯は蕎麦の予定でしたが、店が閉まっており、鍛冶橋そばの味たま入り飛騨牛中華そばを食べました。新幹線ひかりでのんびり帰って0時過ぎに家に到着。

以上('10/11/1)。


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