ブランドの話

 シャネル、プラダ、C・ディオール、カルバンクライン、グッチ、ダンヒル、エルメス、ルイビトン、ヴァレンチノ、アルマーニ、フェレ、ロレックスなどなど。日本人はブランドを好みます。「なんで、ブランド商品を買うの?」とブランド商品を使う人たちに聞くと、必ず返ってくる答えが「品質が良いから」とか「長持ちするから」であるが、それなら「マーク」を消して使かうのか?と聞いてみたい。ようするに、ほとんどの人は「品質」より「見栄」だと思います。高い商品をもっていることの自慢に使うのではないのでしょうか?だから、偽物だと分かった途端に使わなくなると思います。もし、偽物であるということを知らなければ、「やっぱ、ブランド商品は違うわね〜」と使い続けることでしょう。「早く壊れたから偽物だと自ら気づいた」というのであれば納得しますが、大抵はTVの企画とか同じモノを持っている人と見比べてとかで発見するのでしょう。それならば「知らぬが仏」で過ごした方が幸せではないでしょうか。確かにブランド商品が他のものと比べて品質がよくて長持ちするのは事実だと思いますが、「見栄が張りたいから」という事実も正直に言って欲しいものです。まー、見栄っ張りだから言えないのでしょうけど。ある小説家は印税のほとんどを冒頭に述べたようなブランド商品を買うことに使っているそうです。売れている作家ですのでお金がありすぎて困ってブランド商品を買っているようです。家中ブランド商品だらけで、しかも無造作に置かれています。カビも生えています。家には足の踏み場もないほどのブランド商品です。それでもブランド商品を買い続けています。ある月、購入したブランド商品が印税を越えてしまいました。そしてその人はあわてず出版会社へ行って、印税の前借りをしました。売れている作家だからこそできる技です。本を出せば必ずある程度の部数をはける保証があるようです。そこまでしてブランド商品を買ってどうするのでしょうか。結局この人も見栄で買っているようです。「こんだけ自分は頑張ったという、自分へのご褒美」と言っていましたが、ブランドを身にまとう自分を他の人に見せたいがためだと思う。自分のお金をどう使うかはかってですが、ブランド商品をカビさせるくらいならば、世の中のために使って欲しいと思う。偽善的な意見かもしれないが、僕がお金を余らせるようなことがあったら、困っている人のために使いたい。もっとも、この行為もお金を寄付している自分への自己満足と言われるかもしれませんが。ブランドと言っても高い商品をだしている会社だけがブランドメーカーではありません。今、最も深刻なメーカーは「雪印」ではないでしょうか。最近、日本テレビのドキュメント番組で雪印の販売店の特集をしていた。一度落とした信頼を回復するのは容易なことではありません。「NEC」も防衛庁問題で回復するのにかなりの時間をようしたものと思う。ある株の専門家の話では、「こういった事件がおきた場合、株価が一時的に下がるがすぐ回復するのが一般だが、今回の問題は次々と事実が明らかとなり深刻である。」と言っていた。「NEC」の場合は人が死んだとか重傷になったといった話ではなかったので「倒産の危機」というところまでは追い込まれていなかったようだが、食品メーカーは命に関わることなので、信用回復をする前に「倒産」という2文字が浮かびかねない。その放送でやっていた販売店の1つは倒産した。工場が一時停止し、自ら販売を辞めたそうだ。もちろん販売店ですが「雪印」にこだわる必要もなく「森永」や「明治」の販売店をしていくという選択もあったわけだが、あえて倒産を選んだ。そこには「雪印」というブランドを売っているというプライドがあった。この人は40年前から「雪印」の販売店として店を続けてきた。当時は今のように流通業が発展しておらず、痛みやすい牛乳を届けるのに「販売店」の存在が不可欠だった。商売も繁盛しており、配達には高級車を利用していた。そんなある日、配達の途中に交通事故をおこしてしまった。その時、雪印本社の人が早急に弁護士を手配して助けてくれたそうだ。そうして、この人は「雪印」というブランドを愛してやまなかったわけだ。今では考えられないことだ。進化した流通業がこういった販売店との繋がり、「人情」というブランドイメージを無くしてしまったわけだ。しかしながら、「赤ちゃんが雪印の粉ミルクじゃないと飲まない。どこに行けば手にはいるのか教えて欲しい。」などのクレームがある事実もある。今は水より安い値段で雪印の牛乳が売られている。スーパー側もたたき上げをしているわけだ。あくまでも僕の見解だが、「雪印」ブランドは復活し、株価も元に戻り、この事件も過去の事件の1つになるだろう。しかし、個々の持つブランドイメージは違う。今回の被害者は二度と買うことはないだろう。こういったブランドのもつイメージは少なからずみんながそれぞれの意見をもっていると思う。最近では、三菱自動車のタイヤ騒動がブランドイメージを崩した例ではないだろうか。また、最近は食品に虫が入ってたとか食器の破片が入ってたとか日常茶飯事だ。モノを作る側がブランドイメージが崩れるということを意識していないのだろう。これは僕の体験した話だが、ヨドバシカメラで買い物をした時、ポイントカードを渡してポイントを貯めたのだが、家に戻ってレシートを見るとポイントの記載がなかった。二日後にクレームに行ったら、店員の回答は「その日のうちに言わないと困るんですよね。極端な話ひろってきたレシートをポイントにできちゃいますから。今回だけ処理しますけど、次からはその日のうちにお願いしますよ。」でした。はっきりいって頭にきた。明らかに店員のミスだというのに、客を疑う態度。しかも、「この次はその日のうちに」の言葉。またおこしますと言っているのだ。こっちは店員を信頼してその場でのレシートの確認をしなかったのに、「毎回確認しろ!」といっているわけだ。「二度と無いように気を付けます。」というのが普通じゃないだろうか。こんな人が客商売をしてていいのだろうか。それがたとえ拾ってきたレシートだとしてもお客を信じるのが客商売ではないだろうか。拾ったレシートにポイントを付けたところで店への被害は無いと思う。むしろ、この店員の言葉から僕の「ヨドバシカメラ」というブランドイメージが大きく崩れたということの方が店への被害なのではないだろうか?この旨をインターネットのHP経由でクレームをだした。すると下記回答が返ってきた。全く相手にされないことも考えていたので痛く感動し、これからもヨドバシカメラで買い物をしようと思った。僕の中のヨドバシカメラのブランド意識は回復したわけだ。しかしながら、これは特例で一度信用を失ったブランド名のイメージはなかなか回復しないと僕は思う。


この度は、弊社京急上大岡店ゲームコーナーにおける接客応対に関し
貴重なご指摘を賜り恐縮に存じます。

接客応対やお客様のお問い合わせに対しての御回答などは、
お客様と弊社販売員の間の信頼関係がなくては成り立ちません。
ましてやこの度のような暴言に近い言葉使いと
内容でお客様に対応しているようでは、
お客様の不信感も至極当然でございます。
日頃の私共の指導教育不足以外の何物でもなく、
深く反省し深謝いたします。

頂いたご指摘をもとに改めて対応方法の指示を行なうと共に、
基本的な接客応対の姿勢を見直して参ります。
ご寛容のほどお願い申し上げます。


 日本人のブランド指向は今後も続いていくだろう。僕は決してブランドがいけないと言っているわけではない。僕だってノーブランド商品よりある程度名のあるブランド商品を欲しいと思うし、今の会社もブランドで選んだわけじゃないと言ったらウソだ。「ブランド=信用」という体制は決して悪いものではないと思う。ブランドを意識することで顧客は信用を買うことができるわけだ。たとえそれが高いものであっても、企業イメージを背負ったブランドという商品には保証があるわだから。しかし、ブランドにとりつかれて、良いモノと悪いモノの区別がつけられなくなるのは危険である。「自分の意志」というブランドを大切にして欲しいと思う('00/9/14)。


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